多数の投資家の存在

 一般的には、株価の動きはその企業の業績変化を先取りすると言われています。従って投資する側は、本来ならその業種の経済界における役割や日本の社会における見通しを予測し、さらにその会社がどのようなことに力を入れて、会社の内情がどうなっているかを考え、将来の伸びを予測しなければなりません。

 しかし、それはその会社の役員にでもならなければ、なかなか見えてこないことです。もしかすると例え役員であっても、自分が管轄している分野以外の事は知らないかもしれません。

 では取締役はどうか。もちろん各部署から基本的な会社のデータは報告されているでしょうか、それによって将来の業績予測は一番やりやすい立場にいるかもしれません。

 しかし会社とは世の中の動きにも影響されます。つまりいくら会社の内部の動きを掌握していても、例えば輸出企業であれば思ってもみない為替の動きに業績が揺さぶられる可能性もあります。

 つまりその会社に所属している人であっても、会社の事をすべて理解し、世の中の動きをすべて考え、それによって会社の業績がどう変わるかを予測するのは至難の技だと言うことです。

 ましてや外部の我々一般素人が投資をしようと考えている会社の業績予想をするなんて事は先ず不可能です。 せいぜいが株主になってから送られてくる業績関係の書類を詳細に分析することぐらいしか出来ないと思います。

 しかしたかだか100万円ぐらいのお金を投資するのに、そういった詳細な企業分析を行っていたのではコストパフォーマンスが悪すぎます。(投資信託の会社はそういったことをやっているのだと信じたいです)

 そうなると素人投資家が業績面で頼りになるのは四季報や株式雑誌の速報、さらにはネット環境からの噂話や口コミ等々と言う事になりますが、当然中には信憑性の希薄な情報も含まれることになります。

 しかも、そうやって自分で出来る限りの情報をかき集めて、「よし、この企業には将来性がある。しかも業績は伸びている。これなら間違いなく将来は安泰だ」と思える会社を見つけることが出来ても、実際にはそのような企業の株価はすでにかなりの高値になっていて、その先の高値を追うことは不可能のように見えます。

 つまり素人の判断で、将来性がある、と思えるような企業は、誰が見ても将来性があるわけです。しかし株初心者の頃の私は、自分自身の判断に酔いしれ、この企業は有望だ、この企業を発掘したのは自分だけだ、と思いこむような部分もありました。

 投資家の一人としての自負を感じる部分ですが、世の中には信じられないほどたくさんの投資家がいて、自分と同じか、または自分とは全く違う切り口で投資を行っている人がいっぱいいるということに、当時は全く気がついていませんでした。

そして同じ数字を見ても、投資家の経済に関する知識や過去の売買歴の経験、そのときの感情で、その数字により今後株価は上昇する、と判断する人もいるし、下落すると判断する人もいるということに気が付いていませんでした。

  私の最初の投資行動は、いわゆるマネー雑誌の記事に踊らされる、株式投資における、典型的なカモだったと思います。 しかし典型的なカモだったとはいえ、投資金額そのものの桁が小さいため、損失額もそれほど大きくなく、損しても数ヶ月もすれば忘れてしまうようなものでした。

 一方、自分以外にプロやアマチュアを含んだ多数の投資家が存在するという認識は、投資対象銘柄を考慮する上で、常に意識しなければいけないということが徐々に分かってきました。

 私自身がいくら良いと思っても、多数の人が関心を持たず、他にもっと良いと思える銘柄があれば、資金はそちらに集中し、私の買った株は見向きもされず低迷を続ける、ということになります。

 ということは、結局今上昇しつつあるように見える会社が人気のある会社であり、そこに投資すればいいことになりそうですが、我々素人が「上昇している」と気がついた頃は、そろそろ上昇のピークになっていることが多く、またそのような銘柄が株の雑誌に取り上げられることが多くあり、結局高値をつかんで泣き寝入り、ということになります。

 また上昇しつつあるように見えるチャートが、本当の意味で人気が出て上昇したのか、それとも単なる確率的な「ゆらぎ」なのかということも、投資をする上で重要な判断材料であることが分かってきましたが、その区別は厳密には出来ないと考えています。