家庭、職場、病院の三重生活

 当然ながら妻の突然の入院後、私は仕事、家事、病院のお見舞い、さらに息子(当時中学1年生)の世話(昼の弁当作り等)の四重生活が始まり、ともかく毎日気の休まる時間がありませんでした。

 朝起きる。息子を起こす。息子の弁当を作る。朝食準備。洗濯をする。自分の朝食。息子を送り出す。ゴミを出す。洗濯物を干す。仕事に出かける。仕事の調整をして、早退して病院に行く。

 帰りがけに食材を購入。夕食準備。息子と食事。片付け。食器洗い、入浴、そして少しだけ休憩、という毎日です。

 それでも入院当初は、どんなに長くても一ヶ月もすれば復帰するさ、その間は息子と二人で家の中でキャンプ生活をするようなもんだ、と勝手に決め込んでいました。

 ところが大学病院に転院後、主治医から、「治療に最低四ヶ月かかる」と言われてしまいます。これは本格的に父子家庭生活に取り組まないと家庭が崩壊するという危機感にとらわれました。ところが、それでもその予想はまだ甘かったことが徐々に明らかになっていきます。

 妻の病状は、4ヶ月の入院後治療の効果があり、いったんは退院にこぎつけたものの、四ヶ月後再び再入院。

 さらに約1年半の闘病生活を経て、我々家族や親戚一同の願いや連れ自身の生への願いにも関わらず、いともあっさりと天に召されてしまいました。2009年2月のことでした。

 この間私は約2年間、病院の見舞い等のため、最初は看護休暇を取得。しかし入院が長期にわたったので、それは使い果たし、有給休暇も消費。

 さらに息子の学校行事への参加として、子育て休暇を取得。一方自分自身の体力を保持するため、病気休暇等も時間刻みで取得。(各種の休暇があり、上司の理解があったので助かりました)

 それでも最後の方は、それ以上休むと給料に直接響くという限界状態に近づいていました。

 数年前までは予想だにしていなかった事態です。仕事の忙しさと葬儀等の忙しさが過ぎると、しばらくは放心状態に陥りました。

 これから、どうしよう。どうなるんだろう。なるようにしかならないさ、と開き直ってはみますが、心の中をすきま風が吹いています。幸いにも息子はそれほど寂しさを表明してはいなかったのがせめてもの幸いでした。